自分として生きること

”自分は自分としてしか生きられない”

これは様々なことを通じて最後に湧き出て来た感情。

どんなに周囲の目を気にして自身の行動を狭めてみたりしてみても、最後には心の底から湧き出てくる生きる活力に焦点を当て、恐れることなく自己を発信して生きていくことこそが、この一度きりの人生を生き切る術になるのかもしれないと感じたのです。恐れを消すように努力するのではなく、感じている恐れが何を意味するかを深く問うことも大切であるということも学びました。恐れと仲良くすることの重要性。

日々生きていると、誠意を尽くして行動していると思っても、周囲には違う移り方をすることもありますし、自身の行動の背景や状況は他の方々の目には見えないもの。生きているだけで批判をされることもあれば、悲しい言動にであうこともある。これまでの私はそのたびに深く傷つき、何事も自分のせいだと感じ自分が居ることが申し訳なくなるような感覚を抱いていました。

そんな時には新たな行動を起こすことがとーっても怖くなります。「これをしたらこう思われるかな?」「この行動は誰かを傷つけうるのかな」「この行動は人によっては○○に捉えたり、△△に感じられたりするのかな」と過去の経験になぞらえ、自身の行動に起因するかもしれない未来のあらゆる反応を頭の中で考えてしまい、行動を起こすのが怖くなります。その言動の背後にあった感情は、「誰にとっても”心地よい”もの」を選択したい。というものでした。そして、その考えを手放すことの重要性を学びました。

それぞれの学びや感じ方は制御などできないもの。その時、その時、その人に必要な情報がや心に響くものがあり、人によっては心地よいもの、同じ物でも他の人には心地悪く感じられるものがあったり。何か批判的な意見が現れた時には、その方の中の何か心に抱えるものに触れてしまったのかもしれません。そうした意見は決して自分の存在を否定するものではない。訪れるタイミングでそれぞれに訪れているものであり、その心地悪さこそが大切な何かを教えてくれている。そんな感覚に寄り添える人間でありたいと考えたら自分自身心がすっと楽になりました。

誰もが持つ心の闇。それは決して悪いものではなく、自分をより明るい未来へと導いてくれる道しるべなのだと思ったら、自分に訪れる闇についても人の中に訪れている闇についても、捉え方、感じ方が変わりました。

「この闇はその反対にどんな光を照らすために存在しているんだろう?」

「この闇は私に何を教えようとしているのだろう?」

と。そう考え始めたら、ようやく自分の中のワクワクセンサーが、行動力を失ったところからゆっくりとまた活動し始めるのを感じることができました。

今日もまた心のワクワクセンターを働かせて、それぞれに楽しい一日の訪れを願って☆彡

 

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